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お坊さん便に対して、仏教界がかみついた理由①

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お坊さん便に対して、仏教界がかみついた理由①

http://ironna.jp/article/3101
島田裕巳(宗教学者)
お坊さん便は、布施の額を一律にしたことで、布施の額をどうするかで悩む人たちの不安を解消している。布施は本来なら、出す側が、自分の信仰心や経済力を 勘案して額を決めるものだが、一方で「相場」というものがある。相場よりも安い布施だと、坊さんから突っ返されるなどという話も聞く。
しかも、3万5000円はそれほど高いわけではない。2万円の戒名なら安い。そういう受け取り方をされているはずだ。
 ところが、お坊さん便に対しては、仏教界がかみついた。各宗派の集まりである全日本仏教会は、「宗教行為を定額の商品として販売することに大いなる疑問を感じる。定額にすることによって『お布施』本来の宗教性を損なう」として、アマゾンにお坊さん便の中止を要請した。

仏教界にとって一番困るのは、お坊さん便が定額であることで、それが信仰心を伴う布施ではなく、料金の支払いと見なされることである。そうなると、僧侶が法事・法要を営むことが、宗教行為ではなく、商売としてとらえられる恐れが出てくる。
それは、たんに認識やイメージの問題にとどまらず、課税にも結びついていく可能性がある。それぞれの寺は、宗教法人として認証されており、宗教活動については課税されない。
お坊さん便は、宗教家を呼ぶものではなく、何かの専門家、たとえば、修理屋や庭師、電気屋や水道屋を呼ぶのと変わらないものになっている。
もしこれに需要があるとすれば、多くの人たちがそれでいいと考えている証になる。
仏教界は抗議をする前に、なぜこうしたシステムが生まれたのか、徹底してそれを分析する必要があるのではないだろうか。
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Katsuhiro Tateno

これが「宗教行為」とか鼻で笑ってしまいますが。
葬儀屋呼ぶのとどう違うんでしょうか。

「布施が安いと突っ返す」のに「信仰心を伴う布施ではなく、料金の支払いと見なされる」のは嫌だとか、もう何を言ってるのかわからないレベルですね。
実は仏教界こそが、宗教や布施の意味や意義を見失っているのではないでしょうか。アショーカ王の話を知らないわけではないでしょうに。
「布施」であるなら心を受け取り金額は問わないという姿勢であるべきです。
金額にこだわるならそれは「料金」ですから、需要と供給という商行為のバランスの中で決定されるべきです。

積まれた札束で信仰心を量るような俗物を、僧侶などと呼ぶ悪習は廃れるべきだと思います。
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久しぶりに宗教問題が活発になって実にうれしい。

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